立石寺 開山堂・納経堂

弟が山形へ転勤になったので、母が一度行ってみたいと言い出した。私もそれに便乗して付き合うことにした。
2004(平成16)年5月28日、金曜日。東京駅で母と待ち合わせて、東北・山形新幹線で山形駅へ。弟が出迎えてくれた。駅前から路線バスで、弟が予約してくれていた中桜田温泉「ウェルサンピア山形」(山形厚生年金休暇センター)に向かう。

立石寺

5月29日(土)朝、山形駅からJR仙山線に乗車し20分ほどで山寺駅へ。そこから徒歩で宝珠山立石寺、通称山寺へ。弟が山寺観光ガイドの方を予約してくれていて、根本中堂の前あたりで落ち合う。
根本中堂は立石寺という御山全体の寺院の本堂に当たる御堂である。堂内では、本尊として慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像をお祀りし、脇侍として日光・月光両菩薩と十二支天、その左右に文殊菩薩と毘沙門天を拝することができる。
まずは松尾芭蕉像と句碑の説明と記念撮影からスタート。松尾芭蕉の「おくのほそ道」には、このように書かれている。

立石寺
山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にて、殊清閑の地也。一見すべきよし、人〃のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巖を重て山とし、松柏年旧土石老て苔滑に、岩上の院〃扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。
閑さや岩にしみ入蝉の声

ガイド人の説明を聞きながら、山門から始まる長い階段をゆっくりと上がって行く。説明によれば石段の数は八百段以上だという。観光客は多いのだが、老木の緑に囲まれて静かだ。
途中、せみ塚というところで休憩。松尾芭蕉に連なる弟子たちがこの地を訪れた時に、芭蕉が句の着想を得た場所だとして、短冊を土台石の下に埋めて、この塚を立てたという。
開山堂は立石寺を開かれた慈覚大師の御堂で、百丈岩の上に立てられている。扉が閉じられているが、大師の木造の尊像が安置されている。隣の赤い小さな御堂は山内で最も古い建物だそうだ。奥之院で写経された法華経が納められている納経堂である。さらに、舞台のような五大堂からは山寺を一望できる。
山内には50余の建物が存在している。説明を聞きながら、さらに上へ上へと進んでいく。73歳になる母も元気に階段を上がる。参道の終点が奥之院。奥之院は通称で、正しくは「如法堂」という。慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来・多宝如来の両尊を御本尊としている。また左側の大仏殿には金色の阿弥陀如来が安置されている。
国指定重要文化財に指定されている三重小塔は、室町時代に建てられた三重塔の遺構で、内部には三重塔の本尊である大日如来像が安置されている。岩窟内に納められているうえに、ガラス格子戸が厳重に張られ、その全容を見ることはできない。

山寺の対岸の小高い丘の上にある「山寺風雅の国」で昼食。すぐそばにある「山寺芭蕉記念館」にも立ち寄る。米倉斉加年主演の映画「おくの細道 百代の過客」などを見たりしてのんびりと過ごす。

最上川

翌30日(日)、山形駅前から定期観光バス「べにばな号」に乗る。途中、天童・竹内王将堂に立ち寄ったあと、古口港(戸澤藩船番所・乗船手形出札處)に到着。最上川芭蕉ライン舟下りである。
松尾芭蕉も、新庄市本合海から庄内町清川まで最上川を船で下っている。

最上川
最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き誹諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければとわりなき一巻残しぬ。このたびの風流爰に至れり。
最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。こてんはやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをやいな船といふならし。白糸の瀧は青葉の隙隙に落て仙人堂岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。
五月雨をあつめて早し最上川

最上川舟下りの最大の魅力は、船頭さんが自慢の美声を披露してくれる「最上川舟唄」である。外国からの観光客も多いのだろう、山形訛りの英語や中国語の舟唄も披露していただいた。船頭さんの方言たっぷりな案内も魅力的である。
源義経一行が奥州藤原家(岩手県平泉)に向かう途中、船で最上川を遡って逃げたという伝説が残っている。義経の馬を休憩させて轡(くつわ)を洗ったとされる「馬爪岩」、弁慶があやしい人影めがけて投げた石がめり込んだという「弁慶の礫(つぶて)石」などがある。最上川舟下りの船上から見えるというが、探しているうちに通り過ぎてよくわからなかった。
おくのほそ道に書かれている白糸の滝、仙人堂も義経ゆかりの地だ。義経の正室、北の方はこの白糸の滝を詠んだ和歌を残している。従者であった海尊(かいそん)を祀ったのが仙人堂である。海尊は一行と別れたあと、山伏修行の後に仙人になったという。

羽黒山

およそ50分の舟下りのあと、終点の草薙港(最上川リバーポート)で昼食。 午後からは羽黒山に向かう。

羽黒
六月三日、羽黒山に登る。図司左吉と云者を尋て、別当代会覚阿闍利に謁す。南谷の別院に舎して憐愍の情こまやかにあるじせらる。
四日、本坊にをゐて誹諧興行。
有難や雪をかほらす南谷
五日、権現に詣。当山開闢能除大師はいづれの代の人と云事をしらず。延喜式に羽州里山の神社と有。書写、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山と云にや。出羽といへるも鳥の毛羽を此国の貢に献ると風土記に侍とやらん。月山湯殿を合て三山とす。当寺武江東叡に属して天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励し、霊山霊地の験効、人貴且恐る。繁栄長にしてめで度御山と謂つべし。

国の重要文化財に指定されている三神合祭殿(さんじんごうさいでん)。月山・羽黒山・湯殿山の三神が合祀されている。月山・湯殿山は遠く山頂や渓谷にあり、冬季の参拝や祭典を執行することができないので、三山の祭典は全て羽黒山頂の合祭殿で行われるのだ。
合祭殿造りとも称される独特の社殿萱葺きの豪壮な建物で、一般神社建築とは異なり、一棟の内に拝殿と御本殿とが造られている。建設当時は赤松脂塗だったが、昭和45年から塗替修復工事が行われ、現在は朱塗りの社殿となっている。
一の坂の登り口、そそり立つ杉小立の間に、五重塔だけが、素木造り、柿葺、三間五層の優美な姿で建っている。ポツンと、というより、どっしりと。国宝である。付近にはもともと多くの寺院があったというが、今は何もない
継子坂を下りると、祓川(はらいがわ)に掛かる神橋に出る。神橋は、向かいの懸崖から落ちる須賀(すが)の滝と相対している。須賀だけにすがすがしい。月山の山麓、水呑沢より引水して祓川の懸崖に落したのだそうだ。

新庄駅に戻る。駅前から送迎の車で、この日の宿泊先である大堀温泉「国民年金健康保養センターもがみ」に。田園のなか建てられた、まさに保養するというイメージそのものの施設であった。

 

 

 

随想録『隧道』
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奥の細道・山形ルートを辿る

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最上川 仙人堂

羽黒山 三神合祭殿