ふでづかい
「の」の頂点が、ほぼ同じ太さを保っているのがアンチック体の特徴です。アンチック体は、太さの均一なストロークのものですが、つながり(脈絡)は細くなっています。ゆったりと筆をはこび、最後まで太さを保ちながらシャープに抜くという筆法です。力を抜いていくところが少しでも速いと線が軽くなります。少しでも遅く筆を運ぶと重くなり、先端まで太いと鈍くなってしまいます。

まとめかた
江戸文字に近いように感じます。まきこみ、うねりによるふくらみがあり、いくぶんふくよかな感じにみえます。字型(円形・菱形・逆三角形・正方形・縦長方形・横長方形)の差も少ないように思えます。

ならびかた
ベタ組みを基本に設計しています。

新村出(1876-1967)
山口の生まれ。京大教授。おもな研究は、語原・語誌・語釈など根本的で本質的な方面の言語学。語原に関する研究とは、単語の変化の過程をたどって一番初めの姿をさぐり考察していく研究である。語誌に関する研究とは言葉の起源や意味・用法の変遷を詳しく調べあげる研究であり、語釈に関する研究とは語句の意味を調べ上げる研究である。ほかにも語学資料の研究を出発点にした南蛮研究(キリシタン語学)がある。『南蛮記』『南蛮更紗』などをあらわし、大きな功績を残した。

原資料は書香文庫蔵『辞苑』初刷(新村出編、博文館、1935年)の見出し用和字書体です。この辞書の現物をお借りすることができましたので、じっくり検討しながら制作することができました。
 1930年(昭和5年)の暮れ、岡書房の岡茂雄が辞書の企画を思い立ち、新村に中・高校生および家庭向きの国語辞典の著作をお願いしたそうです。岡は語源などにも造詣の深い新村のことだからユニークな国語辞典ができるだろうと密かに期待していました。しかし新村出はこのような辞典を手がけることに気が進まなかったようで即座に断わったのです。
 新村は岡があまりにも頼むので、仕方なく新村が高等師範で教えたことのある溝江八男太が手伝うことを条件に、しぶしぶながら引き受けることになったのです。つまり『辞苑』は新村が自ら進んで手がけたものではなく、やむなく応諾されてできたものということです。
 その後、さまざまないきさつがあって、博文館の『辞苑』から岩波書店の『広辞苑』となったようです。


■組み見本

辞書ですから、カタカナも五十音のそれぞれの見出しをめくれば和字のキャラクターをすべて抽出することができました。見出しのない「ヰ」「ヱ」「ヲ」はありませんでしたので、イメージをあわせて書き起こしました。
 五号サイズでもつぶれることのないように太さの調整をおこないました。

漢字書体は、「方広」です。

準備中

『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。
『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。

このアンチック体では特徴を最大限に生かせるようにヘビーのウエイトのまま制作することとしました。
 辞書ですから、五十音のそれぞれの見出しをめくれば和字のキャラクターをすべて抽出することができました。見出しのない字種のうち「を」は見つけられましたが「ゐ」「ゑ」はありませんでしたので、イメージをあわせて書き起こしました。
 復刻にあたっては、太さの均一なストロークで、脈絡線は細くなるアンチック体の特徴を意識して見極めながらすすめていきました。
 太い書体ですが五号サイズぐらいで使われることを前提にして、つぶれることのないように太さの調整をおこないました。したがってテスト出力による確認も、本文用に準じています。

 こちらに組み見本があります。

■ファミリー展開