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もとい
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◆国学のおこり
国学とは江戸中期におこった文献学的方法による古事記・日本書紀・万葉集などの古典研究の学問です。儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたもので、契沖〔けいちゅう〕(1640―1701)を先駆とし、国学の四大人〔うし〕といわれた荷田春満〔かだのあずままろ〕(1669―1736)・賀茂真淵〔かものまぶち〕(1697―1769)・本居宣長〔もとおりのりなが〕(1730―1801)・平田篤胤〔ひらたあつたね〕(1776―1843)によって確立しました。
契沖
は江戸前期の国学者・歌人で、高野山で修行して阿闍梨〔あじゃり〕位を得ています。晩年は大坂・高津の円珠庵に隠棲しました。下河辺長流〔しもこうべちょうりゅう〕(1627―1686)の事業を継いで『万葉代匠記』を完成させて国学発展の基礎を築きました。
契沖著『和字正濫鈔〔わじしょうらんしょう〕』は江戸前期の語学書です。1695年(元禄8)の刊行で、平安中期の漢和辞書『倭名類聚鈔〔わみょうるいじゅしょう〕』以前の文献の仮名遣いを基準とし、ひらがなの正しい用法を示したものです。
また
文雄
〔もんのう〕(1700―1763)の『和字大観抄〔わじだいかんしょう〕』は、江戸中期の語学書です。1754年(宝暦4)の刊行で、カタカナ・ひらがな・五十音図・いろは歌・仮名遣いなど和字について説明したものです。文雄は江戸中期の浄土宗の学僧で音韻学・天文学に通じたとされます。
漢文体系統の漢字カタカナ混じり文が漢字ひらがな混じり文になる、すなわち漢字の楷書体に組み合わされるカタカナにかわってひらがなが登場するのは、おそらく本居宣長らの国学者によって実践されたものであろうと考えられます。
◆本居宣長と『字音假字用格』
本居宣長(1730―1801)は江戸中期の国学者です。伊勢の人で、号を舜庵(春庵)、鈴屋〔すずのや〕と称します。京都に出て医学を修める一方、源氏物語などを研究しました。のちに賀茂真淵に入門し、古道研究を志して「古事記伝」の著述に三十五年を費やしました。
また「てにをは」や用言の活用などの語学説や、「もののあはれ」を中心とする文学論、上代の生活・精神を理想とする古道説など、多方面にわたって研究・著述に努めました。
著書に『初山踏〔ういやまぶみ〕』『石上私淑言〔いそのかみささめごと〕』『詞の玉緒』『源氏物語玉の小櫛〔おぐし〕』『古今集遠鏡』『玉勝間』『鈴屋集』などがあります。
江戸時代には木版印刷の方法が普及し民間出版社ができると、それまで特権階級しか目にすることが出来なかった古典が続々と刊行されました。宣長はこの恩恵を受け、木版印刷で刊行された本で契沖の学問を知り、賀茂真淵の業績に接しました。ライフ・ワークの対象となった『古事記』もまた「出版された書物」だったのです。
『古事記』をはじめとする真福寺本などは、賀茂真淵や本居宣長の学問という裏付けによって日本古典研究の貴重な財産となったのです。出版により多くの人が学問の世界に参加したことで、さらに多くの本が発掘され世に紹介されていきました。
宣長は「書物は出版されなければいけない」という信念をもっていました。それは少年のころから書物を友としてきた実体験に基づくものでした。宣長の最大の功績は、学問の世界を開かれたものにしたことです。
出版するには完成した原稿が必要なのはもちろんのこと、筆耕や校正などの手間もかかります。また『古事記伝』は横井千秋(1738―1801)などの助力があって刊行されたのです。横井千秋は『古事記伝』刊行を支援し、最初の二帙の経費も出資したそうです。
『古事記伝』とは、本居宣長によって書かれた『古事記』の注釈書です。書かれてから既に200年以上経過していますが、いまだに『古事記』研究書としての価値を失っていません。
第一巻では、『古事記』という書物の価値を明らかにし、『日本書紀』等の本との比較があります。書名、諸本、研究史、解読の基礎となる文体論、文字や訓法について書き、宣長の古道(古代世界を貫く理念のようなもの)についての考え方を「直毘霊〔ナオビノミタマ〕」として述べています。第二巻は序文の解釈と系図が載ります。そして第3巻から第44巻が本文とその訓読、注釈です。
本居宣長記念館には、『古事記』版本書き入れ、『古事記伝』草稿本、『古事記伝』再稿本、『古事記伝』版本が保存されています。『古事記伝』の草稿は漢字カタカナ交じり文で書かれていますが、その再稿本および版本は漢字ひらがな交じり文に変わっています。
『古事記伝』版本は宣長没後の1822年(文政5)、徳川治宝〔はるとみ〕(1771―1853)より題字を賜り、『古事記伝』の上梓の事業が完成しました。『古事記伝』が版本として完結し流布するまでには二五年の歳月を要したわけです。
この版木も残されています。この『古事記伝』版木の彫刻師が植松有信(1786―1813)でした。植松有信は44巻のうちの一部の巻で版下も揮毫しています。
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『字音假字用格』は、漢字の字音を和字で書く場合の同音の書き分けを古代の用法に即して正し、標準的な「仮名遣い」(歴史的仮名遣い)を定めたものです。
まず、あやわ三行の音のちがいについて「喉音三行辨」について論じています。「おを所属辨」では、五十音図において「お」はあ行に属し、「を」はわ行に属することを明らかにしています。
つぎに「字音假字総論」の項において、日本に伝来した漢字の字音に、いかなる和字(ひらがなもしくはカタカナ)をあてるのが正しいのかを、中国の音韻表『韻鏡』ならびにわが国の『万葉集』など古文献の用例にもとづいて決定しています。
『韻鏡』とは、一〇世紀ころにできた中国の音韻図で、頭子音と声調との組み合わせによって漢字音の体系を図示したものです。日本へは鎌倉初期に伝来し、多くの刊本が現存しています。
なお、漢字の字音、すなわち漢音・呉音・唐音の三音について、考察を加えたものに『漢字三音考』があります。こちらは漢字の字音の背景になった事情を明らかにしようとしました。そこで、中国語と日本語の音韻の構造の違い、日本に伝来した三音についての中国における地方性、時代性を考えています。
この『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文で書かれていますが、表記に関する説明として、文字列の中にひらがなが交じってきています。すなわちカタカナとひらがなとが同じ文字列で、ひとつの字様として認識されるようになったのです。
◆『字音假字用格』の書法
◇筆遣い
癖の少ない素直な筆遣いです。一字のなかの脈絡(つながり)もさほど多くはありません。現在の書写の手本にしてもいいような書体です。
書写されたものをそのまま木版に彫刻したものだと思われます。そのさいに、『假字本末』ほどではありませんが、少しアウトラインの単純化がみられます。それがやや硬めの印象を受けます。
「うちこみ」は『假字本末』ほど強くはありません。一見うちこみがないようにも思われます。しかしながら和様体のようにすっと入るのではなく、真書体漢字、カタカナと同じような「うちこみ」の芽生えが感じられます。
「まわし」は、おおらかなカーブではなく、むしろ直線をつなぐ意識で描かれているようです。「あ」「の」にみられるように、緩急をつけて、一度筆をゆるやかにしてからはらっているようです。
◇組み立て
同じ木版本の『玉あられ』に比べると、一字一字で完結しています。おそらく御家流漢字ではなく、真書体漢字を意識して書かれたために、必然的に独立性を強めたのではないかと思われます。
組み立ては至って素直です。ひらがな、カタカナの書法で外形による六分類(円形・菱形・逆三角形・正方形・縦長方形・横長方形)が挙げられますが、「う」などは縦長方形、「つ」は横長方形になっているなど、自然な組み立てになっています。
「和様体」が連綿を基本とし御家流漢字と混植されているのにたいして、真書体漢字と混植されるための「本様体」の誕生だと見ることができます。
◇字並び
底本は一ページ九行で、活字組みに想定すると全角アキ以上だと思われます。これは割注を多用しているためではないかと思われます。
字詰めはプロポーショナルです。和様体だけでなく、このような本様体も木版印刷ではプロポーショナルだったということです。もともと書写されたものであること、ひらがな、カタカナが正方形に近くない自然な組み立てであることなどによるものでしょう。
【和字書体「もとい」誕生】
『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、ひらがなは説明部分にしか出てきません。それでも集字してみれば「す」「に」「も」「り」「れ」の五字以外はすべて揃えることができました。
ひらがなの活字書体化にあたっては、前述の特徴を明確にし、和様体との違いを際立てるために「うちこみ」を強調しました。とくに「お」「む」は、他の文字にあわせて「うちこみ」をつけました。
同様に「まわし」も底本の筆法を尊重して、直線をつなぐ意識をもって、きれいな曲線にならないように留意しました。
そのうえで「は」「ほ」の「はねあげ」、「は」「ほ」「ま」「よ」などの「むすび」の筆遣いなど、同じ筆遣いについては、できるだけイメージが同一になるように留意しました。
大きく形姿を整えたのはありません。現代において普遍性のある書法でした。ただ同じ文字列ではなかったので大きさに差異がありました。活字として機能するように、大きさ、太さは揃えていきました。
カタカナは、「ネ」「ヰ」「マ」が異体字しかありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。そのほかの文字はひらがな同様に大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。
書体名の「基」とは「本居」の意で、物事の根本をなすところ、基礎、根幹をいいます。本様体の基礎的書体という意味と、著者の本居宣長にかけて「もとい」としました。